終焉の日

年齢には勝てなかった

1985年に満を辞して放送を開始してニューステーションはその後視聴率も平均で10%後半台を継続的にたたき出して、テレビ朝日における看板報道番組としてみなされるようになりました。まさにその何ふさわしい通り、当時世間的にまだまだ何も知らない子供だった私からしてもこの番組を見てニュースで報じられている慈路的な内容を把握することが出来ていました。そんな番組を作り上げてこれた要因は、やはり一重に久米宏というキャスターの存在あってこそのものでしょう。もしも彼以外のキャスターがこの番組を作るとなってもテレビ朝日の歴史という観点からすればそこまで注目度を浴びるような番組へと成長することはなかったように思えます。久米さんが自分も番組作りに参加するという姿勢を崩すことなくキャスターとして勤めていたからこそ、放送終了後においてもこの作品に影響された報道番組を見受けることがでいます。

そんなニュースステーションが今後も継続して放送されていくだろうと思っていましたが、突如として番組が2004年張るには終了するとの旨を発表することになります。何度かテレビ朝日との契約更新の際に揉めてしまって何度となく休業する時期もありましたが、このことに関してばかりは自分の今後として考えると限界に近いと久米さん自身が悟ったのです。その原因としては、加齢による能力低下を理由にしてテレビ朝日側に降板したいとの意志を伝えたのです。このことを理由にした申し出は度々あったようでその都度言葉を濁す形で何とか契約関係を維持してきましたが。子令嬢は引き止める事はできないと判断したため、久米宏さん自身の降板を許諾し、同時にニュースステーションとしての放送も終了することを決定したのです。

どんなに報道のプロとしての自覚があったとしても、やはり年齢的なものには勝てないのは人間としての限界点なのかもしれません。もしも老化現象なるものが人間になければ、久米さんを始めとしたジャーナリストの方々はその身が擦り切れるまで働き続けるのかもしれませんね。

終わる直前にトラブル

有終の美を飾ろうとしていましたが、意外とそうはいかないものです。報道番組の取材によっては誤った情報を流布してしまうことがあります。間違った情報を放映する事そのものがご法度ですが、ニューステーションもそうした誤報道をしているのですがその放送内容に対してニュースステーション側としては間違ったものを流してしまったというトラブルが起きてしまうのです。その問題とは『所沢ダイオキシン訴訟』問題で、農家から出荷される野菜から大量のダイオキシンが検出されたとの情報を取得したと報道したのですが、この問題そのものが誤りだったのです。確かにダイオキシンが検出されたのは事実ですが、農産物は煎茶だけであってしかもダイオキシンが検出されても健康状態に悪影響を及ぼすことはないという専門家からの判断が下されたのです。

このことに関してニュースステーションに出演していたコメンテーターの菅沼さんが誤りを認めないどころか怒鳴り散らすといった悪態をついてしまったので、問題が更に混迷して行くこととなります。その後久米さん自身が番組内で煎茶だけが検査対象だとは知らなかったという事実を認めて謝罪をすることになりますが、それまでに蒙った被害を考えて訴訟を起こされてしまったのです。その後の展開として、番組終了後も裁判が繰り広げられていき、一審・二審ではテレビ朝日側が勝訴するも最高裁には判決を破棄して東京高裁に差し戻されるなどの進退が繰り広げられていき、2004年6月16日に番組終了してから約三ヶ月後に和解金を支払うことで事を収集することになります。それまでの歴史を考えたら、番組終了してからもこうした問題が尾を引いてしまったのはなんだかやるせない展開ですね。

最終回には

ニュースステーションの最終回が迎えることになる2004年3月26日、この日もまた通常通りニュースを報道していていき、エンディングにて久米さん自身が民間放送の在り方、視聴者を始め広告代理店の電通、歴代スポンサー・スタッフなどへの感謝の言葉、さらには久米さん自身の小学校の思い出などを語る等など、ニュースステーションというよりは久米さん自身の人生録を述べているようなそんな内容を淡々とお送りしていました。それだけ生活の一部としても非常に根を張った存在だったということなのでしょう、人生の約1/4もの時間をニュースステーションと共に過ごしたと考えたらそれだけ感傷的になるのも頷けます。

最後は一人手酌でビールを一気飲みして終了したニュースステーション、そして後番組には同様のスタイルを取り入れた『報道ステーション』が始まることになります。ニュースステーションが終了した直後のTBS番組『筑紫哲也 NEWS23』内における『多事争論』において久米さん自身に言葉を送ったのです。また翌日以降もバラエティ番組や新聞各紙にニュースステーションという番組が終了したとの報道をされるといった例外な事態が発生することになります。しかし引いていえばそれだけ業界内でもニュースステーションそのものの評価が高かったこと、久米さん自身の能力を高く評価していたことなどが起因しているからこその展開と言えます。

テレビ番組に革新的な報道スタイルを確立することに成功し、さらに一般大衆として老若男女問わず誰でも分かる報道番組を制作するという今までにない斬新な番組作りをした功績は大きなものでしょう。製作したテレビ朝日は勿論。その他の民放各局にも確かにその影響力を伸ばした事は確かだと思います。誰でも分かるニュースを作る、理想的な報道番組として開拓したニュースステーションがあったからこそ、現在における報道番組を成功へと導くことになったといえます。