番組内の歴史

報道番組として新たな黎明期を目指して

久米宏さん、そして小宮悦子元テレビ朝日アナウンサーにコメンテーターに小林一喜さんを中心として番組が進行する中でニュースステーションは始まりを告げることになりました。記念すべき初回放送では北海道から石狩鍋における鮭の話題を中心としたものだったそうです。当初の目的からずいぶんかけ離れた内容のように思えますし、おまけに時間帯が時間帯ですから思わずおなかを鳴らしてしまう人もいたのではないでしょうか。

ニュースステーションは初期から月曜から金曜の平日22時に放送されていた報道番組となっていますが、金曜日は通常の放送とは違ったバラエティ感溢れる独特の放送内容で展開していました。毎回ゲストを2名招いて、様々なシリーズをテーマにした金曜日らしい内容でお茶の間を楽しませる内容となっていました。これも報道番組としてはそれまでにない取り組みでしょう、最初から最後まで堅苦しいイメージで構成されている報道番組構成にはまずありえない展開でしょうし、放送開始当初としてもさすがにこのような異色番組を受け入れるには少々時間が掛かったかもしれません。

出先としてはある意味話題をさらうには十分な内容となっていますが、こうした金曜日版独特の放送は始めから期間限定で作ろうという当初から計画されていたことで、僅か3年後のテレビ改編期には金曜日のスタイルは廃止されることとなりました。それからは報道番組らしい硬派な内容へと完全シフトすることになりますが、それ以前の金曜日の名残を何処となく残して月曜から木曜までの内容とは些か異なる放送を行なうことになります。当初から決まっていたことではありましたが、何だかんだで製作陣はもちろん視聴者からもそれとなく好んでいた人がいたからこそ何処となく形だけは残しておこうという趣向なのかもしれません。

こうして始まりをきったニュースステーションですが、そんなかの番組が後にそれまでの報道番組のスタイルを変えることになる歴史的転換期を生み出すことになると後に伝えられることになります。フィリピンにおける政変を特集したときのことです。

フィリピン政変により、報道番組の新たな可能性を示唆

1986年2月25日、今からおよそ30年前にフィリピンではエドゥサ革命が発生したことで政権交代が起きるという事態が発生しました。突然の事変に日本の報道番組としては放っておく事の出来ないことの大きさに民放各局を含めて対応を求められることになりますが、その中にニュースステーションも含まれています。当時のプロデューサーは番組終了時間を30分間延長する決断をするという賭けにもにた判断を下すことになりますが、番組終了1分30秒前にCNNテレビで生中継されたアメリカシュルツ国務長官の記者会見の模様を流すことに成功し、フィリピン政権前大統領であるマルコスが亡命、及び政権崩落の一報を伝えることに成功したのです。この報道は後にテレビ、特に報道番組の歴史を変えることになった偉大な歴史的1ページとして語られることとなるのです。別名『ニュース番組を変えたニュース』とまでいわれるようになります。

世界的に見てもそれまで独裁政権を構成していたフィリピンにおける革命的な出来事であったのは確かなのは理解できますが、では具体的にこのニュースがどのように報道番組を変えたのかという点について少々疑問が残ります。詳しい資料を見つけることが出来なかったので考察になってしまうのですが、やはりタイムリーなニュースをそのままお伝えすることが出来た、という点でそれまでの日本の報道番組にはなかったスタイルを確立することに成功したということなのかもしれません。アメリカ国務長官が第10代フィリピン大統領、マルコスが亡命したこと、そしてフィリピンの独裁政権の終焉といったものをリアルタイムで放送できたという快挙を為しえたことで、ニュースステーションは改めてそれまでになかった報道番組への可能性を提示することに成功したということなのかもしれません。ちなみに、この時現在でもキャスターとして活動している安藤優子さんがアメリカ国務長官の発表を電話で生中継していたという逸話もあるほど、このニュースは世間をにぎわすことになったのです。

久米さんがいない日に限って

アナウンサーやキャスターといっても人間です、時には休みというものを取らなければ過労で死んでしまいます。芸能人などはかなり変則的な休みとなっていますが、アナウンサーなどのテレビ業界に関わっている人達もまた、非常にフレキシブルな労働環境で働いているため、最悪休みなどとは無縁の生活をしています。しかし最近はそういった労働環境などの整備をする上で、何とかして休みを取らせるようにする動きも出ています、もしくは本人から休みたいとの報告を受けて検討もします。そして遅めの夏休みといったまとまった働かなくてもいい時間を獲得していますが、休んでいても骨の髄まで報道陣としての根性が染み込んでしまっている人なら、例え休みの期間中に世間をにぎわす事件が発生しようものなら途中で切り上げて休み返上で働く人もいます。久米さんもその一人ですが、この人はそう意味では非常にタイミングが悪いといえるかもしれません。

久米さんが夏休みを取った、とある夏休み。西暦2001年9月11日に起きた、21世紀初の大規模テロ事件でもある『アメリカ同時多発テロ』が起きたとき、久米さんは遅めの夏休みを取っていたのです。ニュースステーションもすぐさまこの報道をして世間にアメリカの状況をお伝えしていましたが、久米さん自身もそのようなことがまさか休みの時に起こるやも知れなかったでしょう。このようなときに自分は休んで入られないとして13日にまだ続くはずだった夏休みを切り上げて番組へと復帰することになります。タイミング悪かった、そういうしかありませんね。